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先生のひとりごと

[2021/04/08]

放送クラブ その2

 ☆どういう訳か、放送クラブには女子しか入ってこなかった。

 ☆朝礼で校庭に並ぶのがいやだった、というのが裏の理由だとしても、しかもクラスで人気の高い女子が数人も入っていたのだから、「僕」に人気があったのだ、と思ってしまっても不思議ではない。

 ☆記憶にはないけれど、多少はうれしくて放送劇をやろうなんて思ったのかもしてれない。

 ☆キャストも決めて、何回分かを録音したように思う。もちろん、効果音だった工夫して録音したし、テーマ曲も前後に入れたような。

 ☆ただし、ミキサーがあったわけでもなく、テープ編集なんてテクニックは知らなかったから、すべてぶっつけ本番で、音楽もスピーカーから流したものを間接的に録音した。

☆稚拙ながら、フェードイン・アウトをやったりプロデューサーのような仕事はすべて自分流ながらやっていて、結構おもしろかった。そんなことがやれたのは結構ラジオを聴いていたからかもしれない。


 ☆その後、女子たちが飽きて「放送劇」は中断したまま未完となり、春休みに入ると僕も父の転勤により大阪を離れることになってすべては終わった。

 
 ☆大阪から仙台に転校し、さすがに中3、受験勉強の世界に突入してゆくことになる。

 ☆とはいえ、大阪からの転校生は好奇の目で見られるし、成績が良くなるとライバル視され手、今から思うと結構意地悪もされた。

 ☆僕は鈍感なのか、みんなに押さえつけられて口に消しゴムのかすを詰め込まれたりしたんだけど、それは僕を歓迎していて一緒に遊ぶ内容だと思っていたから、ヘラヘラしていていじめとは思わなかった。実際いじめではなかったと思っている。

 ☆ノーテンキでも受験勉強は一丁前にやっていて、「3当4落」だなんて3時間睡眠もあった。

 ☆そのおかげか、仙台の優等な高校に入ることになった。その当時、仙台はすべて男女別学で、男子ばかり300人ほどの汗臭い高校生活がはじまる。

 ☆僕の行った高校はバンカラが気風で、手ぬぐいをこしにぶら下げ、高下駄を履いて歩く。井上ひさしの「青葉茂れる」という小説が、その気風を書いている。

 ☆結構アホなことをするのが伝統で、仙台北警察署と南警察署の木製看板をすり替えたり、女子校の看板をすり替えたり、仙台市内を高下駄の音を鳴らしながら練り歩いたりした。

 ☆そんな中、僕はまた「放送部」に入部する。ここは立派なクラブで「仙台一高放送」という放送局を名乗っていた。