根管治療専門医-西五反田の山村歯科医院

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先生のひとりごと

[2020/11/27]

喪中はがき

 ☆今年の6月に母が98歳で一生を終えた。

 ☆仙台市で育った。仙台市は伊達政宗の時代から海外文化に目を向けていて、明治維新から欧米文化を取り入れるのに熱心だった。

 ☆キリスト教文化や、アメリカ文化も広がっていて、宮城学院や東北学院などが古くからある。

 ☆母は幼少の頃からアメリカ人家庭の世界に触れ、食べ物や服飾、生活様式まであこがれるようになり、東京薬専に入って上京後にカトリック信者となった。

 ☆子供の僕らもその結果、幼児洗礼を受け(今ではエセクリスチャンである)、小さい頃は教会に通った。

 ☆朝食は戦後間もないのにパンにバター、コンビーフなどだったから、近所の友達の家に行くと、どうして自分の家の雰囲気が他と違うのか不思議だった。

 ☆母から見れば、合理的で文化的な(?)家庭を作って行きたかったのだろうかと思う。

 ☆ともかく日本文化になじむというより欧米文化になじむ人生を送ったと思う。

 ☆晩年まで聖書の勉強をし、油絵を描いたりしながら欧米風な生活環境を維持していた。

 ☆僕は成人した頃から自分の意見を持つわけで、母の意見にはずいぶんぶつかり、それが自立への動力になったように思う。

 ☆やさしく頭をなでてくれるような母ではなかったけれど、小さい頃の想い出はやっぱり「優しい母」の記憶である。

 ☆そういう小さい頃の母を思い出すと、やはり寂しさを禁じ得ないものだ。

 ☆そんなことを思いながら「喪中はがき」を出した。

 ☆母を知っている高校時代の友人から香典を頂いた。50年も会っていない仙台在住のその友人に、思わず電話した。

 ☆50年も経っているのに、そいつの声はまるで青年のようだった。そいつも僕の声を「変わらない」と言った。

 ☆年賀状のやりとりだけで、そのうち会えるだろうと思いつつ50年も経ってしまったわけで・・。

 ☆時間が圧縮する。お互いに「元気でいたことを確認できて良かった」と言って電話を切った。

 ☆母と共に生きた70数年と、友人との50年と、子供を育て、孫までいる今の僕とが、それぞれ別物のように感じるのである。

 ☆喪中はがきだけで、不思議な感覚を得られるらしい。