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先生のひとりごと

[2021/05/17]

放送クラブ その4

 ☆「ずんだ餅」は今ではお菓子屋さんの製品として売っているけれど、あのときのおいしさに出会ったことはない。

 ☆この方言番組、方言を集めて分析して番組にし、確か秋の文化祭に出したかと思うのだが、たいした番組にはならなかったと記憶している。

 ☆「仙台一高放送」クラブのボスは一人だけの三年生なのだが、「放送」に対しての情熱はただならぬもので、すべてを牛耳っていた。

 ☆この人は中学校の放送部で結構活躍していたらしく、その部員数人が同じ一高に入ったことから、中学校時代からの主従関係を堅持していた。

 ☆このクラブでは「放送理論」もこのキャプテンが講義してくれたが、なかなか難しくてずいぶん頭を悩ませた。

 ☆この頃仙台には「NHK仙台」「東北放送」「仙台放送」の3つがあって、特にNHKには時々訪問してはアナウンスの訓練や放送倫理や番組制作のあれこれについて話を聞いた。

 ☆高校生がNHKに行ってプロデューサーやアナウンサーに教えを請うなんて、結構図々しいことをやったものだが、先方は結構相手にしてくれていた。

 ☆それは「全国高等学校放送コンテスト」というのをNHKがやっていて、(今でも映像部門などを加えて毎年やっているようだ)その関連もあったのかもしれない。

 ☆僕たちが仙台近郊の農村をかけずり回っていた頃、二年生とボスの三年生は、この「高校放送コンテスト」向けの取材をやっていて、たしか7月になるとその制作論議や録音が始まっていた。

 ☆コンテストは「アナウンス部門」と「番組部門」に分かれていて、さらにアナウンスは「詩の朗読」部門と「ニュース」部門、「小説朗読部門」などに分かれていたようにおもう。

 ☆僕らは「番組制作部門」のみで、仙台の男子校はほぼこちらが多く、女子校は皆「アナウンス部門」に挑戦することが多かった。

 ☆僕たちが挑戦した番組部門はさらに「報道部門」「文芸部門」「音楽部門」に分かれていた。
 
 ☆僕ら1年生は先輩たちのお手伝いをしながら、テープレコーダーはもちろんターンテーブルの操作、ミキシング技術、テープの編集や取材の仕方などを憶えて行く。

 ☆「ディスクジョッキー」というとレコードディスクを手で回して逆転させたり遅くしたりする(今は電子機器で行うらしい)のが一般的認識だけど、僕たちの頃はレコード盤やレコードアーム、針などを手で触るなんて、ましてや手で逆転させるなんて厳禁もいいところ。

 ☆それはまあ後日談だけど、ともかくレコードはだいぶたくさん聴いた。レコードは図書室にたくさんあって、これを借り出す。

 ☆主にクラシックで、番組冒頭の「タイトル」時のもの、途中の状況に沿ったもの、エンディングなどにどれを使うか全曲聴く。

 ☆ベートーヴェン、チャイコ、モーツァルト、ブラームス、ショパン、バッハなどは勿論、古典からショスタコぐらいまではいろいろ聴いた。

 ☆どうしても図書室にないものはその頃始まった「FM放送」の音楽リクエスト番組にリクエストして、それを録音するなんて苦労もした。

 ☆ビートルズが僕たちの耳にどんどん入ってくる昭和39年から40年頃でも音楽番組はそれほど多くなく、始まったばかりのFM放送は貴重な音源だった。

 ☆毎日夜遅くまでコンテスト向けの制作研究をやっていて、結局、報道番組二本、文芸番組二本、音楽番組二本を完成させ、宮城県大会にエントリーした。

 ☆アナウンス部門はやはり女子校が多かったが、男子校の私立「仙台高校」からはほぼすべての部門がエントリーしている。すごい高校だと思うと同時に対抗意識もムラムラとわいてくる。

 ☆三年生のボスがどうやら因縁があるらしく、聞いてみると、あっちは指導教員がいて、生徒たちはそういうプロのような指導者の下で番組を作っているし、放送機材は私立だけにだいぶ豪勢なものだという。

 ☆そう言えば僕たちには指導教員かおろか、顧問の顔さえ知らないではないか。・・・そういう生徒任せのクラブだったのだ。

 ☆この高校は、いわゆる規定の高校の教育は熱心にやるが、他のことはほとんど生徒任せで、ほとんど束縛がない。これが伝統だという。

 ☆ともかく、先生に指導されて出品するような高校には絶対負けたくない、と言う意識が強かった。何せ、僕たちは”高校生だけ”で番組を作っているのだ。

 ☆結局、報道番組はすべて落選したが、文芸番組1本と音楽番組1本が1一位通過となり、宮城県代表として東京で行われる全国大会に出場することになった。

 ☆報道部門はライバルの仙台高校に持って行かれたのだ。

[2021/05/14]

放送クラブ その3

 ☆なぜまた放送部だったのか、あまり記憶はない。中3では物理部にいて、自動ドアなんかを作っていた。

 ☆機械いじりが好きだったからで、けっして物理法則などに興味があったわけではない。朝と夜に自動的にカーテンが開閉できるにはどうしたらいいかなぁ、なんてことを、モーターや光電管なんかを組み合わせて作ろうと思ったりした。

 ☆高校に入って、やっぱり機械いじりが出来そうなクラブだといいかなぁ、なんて思ったのか、中2までやった放送機械をいじれると思ったのか。

 ☆ともかく入部してみたら、三年生が1人、二年生が5人ほどいて、僕ら新入生は6人ぐらいだった。

 ☆与えられた命令が、宮城県の「方言」を調べて番組を作れ、というもの。

 ☆「デンスケ」という当時高級品だった小型テープレコーダーを肩に、二人一組で郊外の農家などを回って「取材」をした。

 ☆「カエルのことをなんて言うの?おばあちゃん。」「ビッキって言うんだ。」「じゃ、トンボは?」「コジャコジャッゴ」「はぁ?」「コンジャコンジャッゴ」

 ☆さすがに宮城県の農村に行くと訛りがひどくて、よく理解できない会話もあった。

 ☆まぁ取材はそんな感じでやっていたけど、一番記憶に残ることがある。

 ☆僕たち高校生なのに、ほとんどの人たちが丁重に話を聞いてくださるのだ。しかも「わざわざ仙台から・・」と、大して遠くもないのにお茶などを出してくださる。

 ☆「イッコウの学生さん」というのがそんなに大事にされる立場なのか、と感じ入った記憶がある。

 ☆ある農家に行った時のことだ。取材が終わって帰ろうとしたときに、「餅でも食ってゆけ」と言う。

 ☆もちろん遠慮して帰ろうとしたのだが、「サナブリモチだから縁起もあるから食べろ」と言う。

 ☆方言に敏感だったからその「サナブリモチ」にも興味がわいたし、出来立てだから、と言うので頂くことにした。

 ☆それは緑色の衣をまとった団子で、そのおいしさに驚いた。

 ☆いわゆる「ずんだもち」である。豆打モチの訛りで、ちょうどその季節に穫れ立ての枝豆を杵でたたいて、砂糖などで甘くした餡をたっぷりと巻く。

 ☆サナブリとは「早苗振り」とのことで、苗が落ち着いて根を張り成長を始める6月のことで、農家の人たちはつかの間の休息を取るらしい。

 ☆苗が無事定着したことを神様に感謝し、新鮮な枝豆をまぶしたお餅を供える。

 ☆初夏の空の本で食べたこの「ずんだ餅」の味は忘れられない。